『 坂本龍馬 写真と辿る旅』展&いろは丸事件
2010年 09月 14日
「いろは丸事件」の福山市鞆の浦を訪ねました。
写真集の刊行記念として、坂本龍馬ゆかりの地を巡回する展覧会が、開催されています
「福山雅治 坂本龍馬 写真と辿る旅」
広島 福山市 仙酔島国民宿舎展示室
期間:9月4日(土)~9月14日(火)
福山市へ入るとあちこちに福山の文字が・・・あたり前だけど・・・
車も当然、福山ナンバ~~~
福山ファンの私達は、すっかり盛り上がってしまいました
早速、平成いろは丸に乗り、仙酔島へ
全長約22メートル、19トン・定員は99人と本物より小ぶりです。
船内には龍馬の写真や古い操舵輪、コンパスも設置されて、レトロな雰囲気・・・
写真展示室は撮影禁止なので、紹介できなくて残念
大きなパネルと着物やピストルなどの展示もありましたよ~
来訪者の表があり、沖縄から北海道、外国から来た方もいてびっくり・・・
リリーさんの龍馬グッズもいっぱい・・・
仙酔島は、島からみる美しい景色を見ながら酒を飲んでいた仙人が、酔ってうたた寝をしてしまい、その姿を人間に見られてしまったという逸話がある島です。
仙人も酔ってしまうほど美しい島ということで仙酔島と呼ばれるようになったそうです。
食後は、福禅寺・対潮楼へ
「海援隊」坂本龍馬が、いろは丸事件で決死の談判を行なった場所です。
【いろは丸事件】
土佐海援隊隊長、坂本龍馬が京都の近江屋で暗殺される半年前、翌年には明治になろうとする慶応3年 1867年4月23日に事件は起こりました。
「いろは丸」は、坂本龍馬が運用した伊予大洲藩から借り受けた西洋式の蒸気船です。
最初の航海で物資(鉄砲)を運ぶために長崎から大阪に向かっている途中、瀬戸内海、備讃瀬戸の六島(現在の岡山県笠岡市)で紀州藩の明光丸に2度にわたって衝突されてしまいました。
その後、近くの鞆港(現在の広島県福山市)に曳航しようとしましたが、浸水のため宇治島沖で沈没してしまったのでした。
鞆の浦にとどまり繰り返し賠償交渉が行われましたが、交渉は難航し、鞆ノ浦では決着が付かず、舞台を長崎に移して行われました。
坂本龍馬の卓越した政治力、したたかな交渉能力、広範囲な人脈の駆使、傑出した対応・戦略により、賠償金七万両を龍馬達「いろは丸」側が受け取ることで決着がつきました。
龍馬伝でも放送されると思いますが、この事件で御三家の紀州藩を脅かし、『船中八策』などを示して、大政奉還へと導いていくのです。
福禅寺は朝鮮通信使のための迎賓館として使用されたのですが、その客殿からの眺めがあまりにすばらしかったので、日本で一番美しい景勝地という意味の「日東第一形勝」と賞賛されたそうです。
その客殿は「対潮楼」と名づけられ、立派な命名の書が今でも残されています。
対潮楼から望む弁天島、仙酔島の風景は、ひとつの切り取られた絵画のようで、本当に心が癒されます
鞆の浦の素晴らしい眺望を動画でどうぞ~
いろは丸に乗船した時の動画です
まるで幕末にタイムスリップしたような町並み・・・
しかし、猛暑の為、ダウンしそうになり御茶屋さんへ
宇治ミルクかけ、とっても美味しかったです
鞆の浦のシンボル「常夜灯」の手前にあるいろは丸展示館は、
「大蔵」と呼ばれる江戸時代築の蔵を利用しています。
超激戦の福山☆冬の大感謝祭に当選~~~
場所は、去年訪ねたJDPA東京コンベンションのパシフィコ横浜、展示ホール
そこにセットをくみ、1万人以上収容するようです
ここには縁があるので、ぜったい当たると思ってました
やっぱり、信じれば夢は叶う・・・
しかし、FCなのに友達は、ほとんど落選
モバイルや一般発売で、又頑張るようです
コンベの時は観光できなかったから、今度こそ中華街へ行くぞ~
by joyroom | 2010-09-14 01:38 | ましゃ、ライブ